第11話:お金がなくなった世界
お金は必然的に生まれたものだと思います。
仮にお金というものがなかったとしたらどんな感じになるでしょうか。考えてみました。
まずはオーソドックスに、
①物々交換だけの世界
持っているモノ、技術、サービスをひたすら他者と交換しながら生きていく世界。
遠い昔にメインだったであろうシステムです。(今も世界の各地に残っていますね)
仮にお肉が食べたいと思ったら農場をやっている人をみつけだして、何かと引き換えにお肉を譲ってもらう。相手がちょうどほしいなと思っているものをこっちが持っていれば交渉成立です。
この方式、文化レベルが低ければそこそこうまくいくと思うのですが、
現代の先進国のようにビジネスモデルが多様化してくると非常に成立しにくくなります。
仮に作曲家がいたとしましょう。
その人が提供できるサービス・技術は“作曲をすること”。
200gのお肉がほしいな、と思ったとき具体的にどのくらいの“作曲”を提供すれば成立するでしょうか。
そもそもその農場のオーナーが『オリジナル曲なんて欲しくないんだけどなあ、』と言ったら、
たとえその曲がどれだけ素敵だとしても話が進められませんよね。
物々交換で使われる“ブツ”は、たいていの人がほしがる汎用的なものでないといけないという
流動性の低さが弱点です。
次に考えたのが、
②全言動をポイント換算する世界
お金に限りなく近い“ポイント”というものを持って生きていく世界です。
相手にとって嬉しいことをしたらポイントがもらえて、相手にとって不快なことをしたらポイントが減算されます。さっぱり意味がわからないと思いますので、例を挙げていきましょう。
労働や売買に関して言えばお金とまったく一緒の意味合いです。
労働をしたらその対価としてポイントが付与されますし、モノやサービスの交換(ショッピング)もポイントの受け渡しによって行います。
お金と異なる点は、
他者に対していいこと、もしくはわるいことをした際、ポイントがその言動の内容、周りが感じる快/不快に応じて加算減算されるというところです。
たとえば、狭い道を歩いていて向こうから人が来たとします。
相手を先に通してあげるように待って道を譲ってあげました。
その場合、その人は親切な行動をしたのでポイントがもらえます。
逆に、大声で騒いだり、並んでいる列を無視して割り込んだりすると周りの人は不快に思いますから
その不快の度合いによってポイントが減ってしまいます。
何気ない行動、言動もポイントとして評価されるわけです。
はたして、どうやって感情を数値化いたしましょうね、、
生まれたときに快/不快の脳内物質を感知するセンサーを頭の中に埋め込んでおいて…、、インフラ整備だけで200年ぐらいかかりそうですね、。
仮にこんな世界が実現したとして、
世界は幸せで溢れて、平和になるでしょうか。
“ある一定のポイントを下回ったら死ぬ”という極端な設定も付け加えてみましょうか。
そうしたら親切な人ばかりになりますかね。
ポイントという見返りのために親切をする感じ、?
そもそもそういうためにする親切って相手はどう思うのか、、
…だんだんややこしくなってきましたね。もうやめましょう。
結論を申し上げます。
①の世界も②の世界も、実は既にこの世に実装されているのでは、、と考えています。
mini diary+
私は太陰暦で生きていないと常々思うのです。
◆略歴◆
氏名 伊籐明機良(いとうあきら)
1985年、福岡県生まれ。トレーダー。大学のゼミで金融商品の研究を行い、投資と出会う。SE時代、主業の傍ら独自の投資プログラムをコーディング。現在はシステムトレードをはじめ、外貨、株式等の投機的投資を行う。