イトウアキラの楽観思考

徒然なるままに並べたことばの羅列。

第19話:便利の先

便利とは何かを考えてみました。
便利になると社会はどうなっていくのでしょう。

 

便利とは時間短縮であり手間省略。刹那的に見れば良いことですが、その少し先には割りとつまらない社会が待っているのではないかという懸念があります。

 

時間を短縮し、手間を省略するとはすなはち人間関係のショートカットです。
今まで人の手で行っていたことを、機械化したり自動化することです。
なので人と接する機会が減っていきます。

VRやドローンが進化するとこの世からお店がなくなるのではないかといわれています。VRで架空の店内を歩いて買い物をする。買ったものはすぐにドローンが家に運搬してくれるので、家を出る必要がありません。車や人を避けながら移動する手間、レジに並ぶ時間、運ぶ手間、ありません。超便利ですね。

 

次は逆に文明レベルを下げて、便利じゃない社会を想定してみましょう。原始的な少数民族のような生活です。
スーパーもネットもない。
仮にお肉が食べたいと思ったらそれを持っている人のところへいって譲ってもらうか、自分の力で狩りにいくか、になるんですかね。
あくまで僕の予想ですが、持っている人は普通にくれると思います。おねだりばかりしていたらいやな顔をされるかもしれませんが、本当に困っていたらくれると思います。どうしてそう思うのか。

不便な環境で生きている人は、人間が一人ぼっちで生きていくことは不可能だと知っているからです。助け合い、譲り合いの精神。親が何もできない子供を育てていくのとも、近いかもしれません。自分の出来ることをしてあげようとする。他人を幸せにしようと。デフォルトで人間に実装された機能です。
現代社会では真逆ですね。個人の損得がまず優先としてくるかと思いますが、それは便利だったり、文明レベルが発達しているからです。人と距離を置いても生きていけるのは文明のおかげです。
からしてもらったことは素直に嬉しいものです。同じ水でも水道から出るものと、何時間もかけて運んできてくれたものと、ありがたみが違います。

幸せはもしかしたらからしてもらったこと、なのかもしれません。
便利はこの“人からしてもらった感”を薄めるものだと考えています。

上記の例のVRでお買い物の話。
関わっている人の数だけで言ったら、従来のスーパーで買い物するよりも人手を使っているのだと思います。
流通以外でも架空のお店をデザインしたり、プログラムを作ったり、ドローンを作ったり…相当な人間の力を集めないと実現しないと思うので。
でもそれをしてくれた人と直接会うことはない。自分のためにしてくれてるという姿が直接見れない。“便利”の少し残念な部分。

便利を求めて人間は生きてきたと思います。ふたを開けてみたらこんな感じ。
日本って幸せそうな人多いなあ、ってイメージありますかね。僕はないです。
“幸せそうな人少ないなあ”どころか“病んでる人間多すぎ”まである。

 

便利になるとはプラスアルファになっていくこと、とも言えるかもしれません。
絶対そうでなければいけない(マスト)ではなくて、よりよくなることで都合がいいなあ(ベター)の状態。
今までできなかったことが出来るだけでもう十分プラスのはずなのに、
次はそれができることが当たり前になってしまって、出来なかったときにいらいらする。
だからまたそのイライラを解消するために便利にしようとしていく。

 

便利を突き詰めた先にどんな世界が待っているのか。
割とつまらない社会なんじゃないかと懸念しています。

 

 

mini diary+
このごろ、低音調理法の研究に勤しんでいます。

 

◆略歴◆
氏名 伊籐明機良(いとうあきら)
1985年、福岡県生まれ。トレーダー、クリエーター、アプリケーションディベロッパー。大学のゼミで金融商品の研究を行い、投資と出会う。SE時代、主業の傍ら独自の投資プログラムをコーディング。現在はシステムトレードをはじめ、外貨、株式等の投機的投資を行う。